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汗だくスーツ と 恩渡し

東海愛知新聞 

(東海愛知新聞記事)

「僕は羽根小学校・南中学校卒業で・・・」

5月30日(土)10時30分から1時間程、

「繋がる想い」と題して特別講師になっていました。

母校の岡崎市立南中学校の生徒444名の前で

自分の仕事やその経緯を話す「トップランナーから学ぶ会」にて話をするわけで・・・。

あまり家から出ない自分にとって 新鮮×緊張×暑さ で スーツ上着を脱ぐのを忘れ、

最後まで着っぱなしで話しをした僕に待っているのは汗だくスーツ。

この日は 僕にとって 中学時代に頂いた ご恩 から「恩渡し」ができたと思っている。

僕が中学生3年生の頃に、主張コンクール「僕の父」というタイトルで
高橋淳先生のご指導のもと自分の父親の仕事と自分の気持ちを書いた。

当時の僕は父と交わした「はんこ屋を継ぐ」約束に悩んでいて、

PCが登場して 世界が極めて速いスピードで進んでいく中で 

はんこを手で彫る職人像は極めて古く、時代にあっていないと、どこかで感じていた気がする。

ただ、当時病気だった母(高校2年の時に他界)と職人一筋の父が作ったお店は 

僕のすべて だった。

その葛藤は22歳の大学卒業するまで続くわけで・・・。

でも主張コンクールの取材で父に「なぜはんこ職人になったか」の返答に

僕の人生が動き始めたのは 事実である。

あの時の父は ビールを片手に赤ら顔で こう言った。 

「印鑑というものは、人生の始まりと終りに必ず必要になるものなんだ。
会社をやるにしても印鑑がいる。結婚して家を建てるにしても印鑑はいる。
俺が死んで尚宏が財産を相続するときにも必ず印鑑がいるんだ。そんな
大事な印鑑を彫っていることに俺は自分を誇りに思うし、それを彫ることは
俺にとって社会に出来る唯一の仕事だ」

普段口数が少ない父が 喋り捲ったわけで・・・

「そうなんだ」といって 立ち去り、

まっすぐなその答えに 自分が恥ずかしくなった事を覚えている。

当時の僕 と 今の中学生とを重ね、そして 未来のきみを 思い描き

はんこ職人について話せたことは 意味のある経験だと感じながら

汗だくスーツを妻に 渡シ×怒ラレ 現実へと戻った。 


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